サッカーのセオリーをクイズ形式で学べる「サッカーブレイン」の配信がいよいよ始まった。サッカーライターの西部謙司氏は「自動車を運転するうえで知らなければならないルールがあるように、サッカーにもセオリーがある」と言う。サッカーのセオリーがいかに大事であるか、現場で指導に当たる方々に改めて知って欲しい。
サッカーをプレーするのは自動車の運転と似ている。
運転は、認知→判断→実行の順に行われる。例えば、信号が青から黄色に変わったとして、「信号が変わった」と気づくのが認知である。また、そのときに周囲の状況がどうなっているのか見ておくのも認知になる。次に、前方の車に衝突しないため、あるいは後方の車に衝突されないためには、どのタイミングでブレーキを踏むかという判断をする。そして、実際にブレーキを踏むのが実行である。
道路状況や標識など、ドライバーはさまざまなものを見ている。情報が多いほど、良い判断ができる。しかし、熟練のドライバーになると見ていることをほとんど意識していない。認知から実行まで、意識せずにスムーズに行われている。「これはこうだから、こうしよう」と考える時間もないぐらい、瞬時の認知→判断→実行を繰り返す。
サッカーでも「この状況では、これが正解だろう」という判断は、ほぼ周囲を見た瞬間に行われる。考えるというより、見た瞬間に答えは出ている。ただ、それには訓練が必要になる。自動車の運転でも、初心者は熟練ドライバーのような素早く的確な判断はできないのが普通だ。「この標識の意味は何だったかな?」「この状況は自分と対向車のどちらが優先だったかな?」など、1つ1つ確認しながら練習を積む段階が必要になる。
自動車を運転するうえで知らなければならないルールがあるように、サッカーにもセオリーがある。サッカーブレインでは、クイズ形式でサッカーのセオリーを学ぶことができるのが大きな利点だ。
最初は答えを出すまでに時間がかかるかもしれない。正解を知っても納得できないところもあるかもしれないが、なぜそれが正解なのか知ることが大切だ。それぞれの意味を知り、考えることで、やがて的確に早く判断ができるようになっていくからである。
ただし、セオリーはセオリーにすぎないことも心にとどめて置いて欲しい。セオリーは確率論にすぎない。例えば、角度の狭い場所からシュートするより、もっと有利な位置にいる味方へパスするのがセオリーだ。しかし、その場所からの得点が3%でも、それは決まったゴールの3%しかないというだけの話で、実際にそこから蹴って入れてしまえば100%なわけだ。自信があればトライする価値はある。しかし、「その場所からシュートするのは最優先ではない」というセオリーを知っていてあえてセオリーを外すのと、自分の感覚だけでシュートするのとでは違いがある。
セオリーは対戦相手にとってもセオリーなわけで、あえてセオリーを外すことで意表をつく効果はある。ただ、それを自分の感覚だけでプレーし続けると、相手を騙す効果よりも味方に合わないデメリットのほうが大きくなってしまう。ルール無視の運転が危険なように、セオリーを知らないプレーは自分勝手なだけだ。
セオリーは知っているだけでは意味がない。サッカーブレインで学べるのは知識だけだ。実際にフィールドで同じ状況になると、平面で見たときとは認知の感覚も違う。2次元のスマホの画面から3次元のフィールドのイメージすること。スマホの画面なら全体が見えるが、現実のフィールドでは背後の相手は見えない。プレーで役立つ認知は、実際にフィールドに立ったときのものだ。そのときに見える「絵」から、瞬時に良い判断ができるようになって、はじめて知識が生かされたことになる。
自動車はハンドルを右へ切れば、切ったぶんだけ車は曲がってくれる。しかし、サッカーではボールを自分の思うように操るには技術が必要だ。認知→判断→実行の「実行」が決定的に重要である。知識と判断力を生かせるかどうかは技術にかかってくるということもお忘れなく。
<profile>
西部謙司(にしべけんじ)1962年9月27日、東京生まれ。早稲田大学教育学部卒後、商事会社に3年間勤務。その後、学研のサッカー誌「ストライカー」の編集記者として10年ほど勤務。その間、1995~1998年まで欧州特派記者として3年間フランスに在住し、欧州・アフリカのサッカーを取材する。2002年からフリーランスとして活動。「戦術クロニクル」(カンゼン)、「戦術リストランテ」(footballista)など著書多数。近著に「ボールは丸い」(内外出版)がある。